広島で生れました

 終戦の翌年、広島で生まれました。戦地から帰ったお父さんが必死で働いても楽にならない一家の暮らし。高校へは奨学金で通いました。「なぜ戦争をするんだろう」「なぜ貧富の差があるのだろう」…いつもよぎった田中さんの疑問でした。進学した広島の大学生活のなかで、被爆者の話を聞いたり、平和行進、「部落差別を考える会」の活動などに参加し、学び、友人と交流するなか、田中さんの多くの疑問は解けました。「主権者は国民、平和こそ大事」の信条はそこから得たものです。

出来たばかりの学園都市に

 保育士として働きながら子育て真っ最中の時期に、夫君の転勤でつくば学園に移住しました。上のお子さんはできたばかりの幼稚園に。下のお子さんは児童館へ。新天地の学園地区では、子育ての不安を抱えているお母さんがいっぱいでした。「お母さんたちと児童館活動の一つとして子育てサークルをつくったの。言ってみれば共同の子育ての第一歩だったのよね。親同士心の通う仲間ができたのが一番うれしかったことかな」と当時を語る田中さん。その頃のお母さんたちとの交流は今も続いています。

つくばで婦人の仲間と

 つくば市に移住した翌年、田中さんは、暮らしや平和・子育ての要求実現の場として、新日本婦人の会筑波学園支部(現つくば支部)を多くのお母さんたちと一緒に立ち上げ、初代の事務局長となりました。この間、乳幼児医療費の無料化、並木高校の建設、9条をまもる運動など多くの課題に取り組み、力を合わせ一つ一つ実現・前進させてきました。

 「お母さんのパワーってすごいのよね。楽しかったわ。一番うれしかったことは母親大会をつくば市でも開けたこと。大会のスローガンの『命を生み出す母親は、命を守り育てます』というあれが私本当に好きなの」……。女性・母親の要求運動の先頭に立った田中さんの話は尽きません。みんなと続けてきた「つくば市母親大会」は今年は28回目です。

清潔で公正な市政を

 1987年秋、つくば市が誕生。研究学薗都市にふさわしい明るく溝潔な市政が望まれる中で、1994年にごみ焼却炉をめぐる汚職事件が発覚。市民の怒りが高まり、「政治倫理条例」の制定を求める運動へと発展しました。

 1995年の市長選では、「明るいつくば市政をつくる会」から田中さんが立候補。汚職のない清潔で公正な市政」の実現をカいっぱい訴えました。その後ねばりづよい「直接請求」運動をひろげ、ついに2000年の同時選挙3日前に開かれた臨時市議会で「政治倫理条例」を成立させました。「市民が動けば政治は変わる」と、新たに市議会に挑戦します

サトエさんのコカリナ

 7年前、信州で教師をしていた息子さんをガンで亡くしました。悲しみに打ちのめされた田中さんでしたが、息子さんが広めていたコカリナヘの思いを引きつぎ、自らもコカリナを広める活動を始めました。茨城県初のコカリナサークル『風の輪』はこうして誕生しました。人と人とが音楽によって響き合い、心を通わせる喜びを身をもって知った田中さん。「誰もが生きがいを持って暮らせる文化活動の場として公民館活動などを発展させたい」と目を輝かせています。

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